丁の東大記

東大に1.3点差で落ちた浪人生(→合格しました。東大生)丁の勉強や人生のゴタゴタ

語呂合わせとイラストで覚える高校世界史古代ギリシア史

 高校の時学校のヒロインに頼まれて作ったものです。寒さは許せ。ヒロインに頼まれて断る者がいると言うのか

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エーゲ海には主に二つの文明が栄えた。クレタ文明とミケーネ文明である。クレタ文明は自由な、ミケーネ文明は好戦的な文明として知られた。前1200年ごろ、ミケーネ文明は突然消失したが、理由はわかっていない。この後300年間、文献のない暗黒時代が続く。

そその後ギリシャにはポリス(都市国家シンガポール的な)が生まれる。多くのポリスが生まれたが、初期、特に力を持ったのはスパルタとアテネであった。スパルタはいたかどうかもわからない伝説的立法者リュクルゴスによりスパルタ市民は毎日筋トレに励むこととなった。商業、農業は奴隷近隣住民任せである。(農業はヘイロータイ、自由がない)(商業はペリオイコイ、自由はあるがスパルタ市民ではない。)

アテネでは、前7世紀にドラコンによって法が成文化され

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ソロンにより財産政治(血統よりも財産を重視)、債務奴隷が廃止された。

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その後農民に人気のあったペイシストラトスにより僭主制が行われるが、その息子が暴君であったため、クレイステネスによりオストラコンによって追放された。またクレイステネスはデーモス(区)による部族制の改革(4→10)も行なった。

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ここの頃ギリシアを侵略、統一しようとしたのがアケメネス朝ペルシアである。ペルシア戦争と呼ばれるこの戦争は、ヘロドトスにより記述された。(「歴史」)
アジア地方のミレトスを中心に、イオニア地方がギリシアに反旗を翻したのを機にアケメネス朝ペルシアがギリシアに攻め込んだ。マラトンの戦いでアテネが勝った後、テルモピュライの戦いでスパルタが負けたものの、サラミスの海戦で再びテミストクレスの指導により海軍を拡張したアテネが勝ち、プラタイアの戦いでギリシアの勝利が確定した。


国内では戦艦の漕ぎ手となった無産市民の地位が向上し、ペリクレスの元で民主化が完成した。

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アテネの民主制は直接民主制であり、奴隷、女性、子供、外国人には参政権がなかった。

ペルシアの侵略の恐怖を受け、アテネを中心とするデロス同盟が結ばれた。(そしてペリクレスはそのお金をフェイディアスとともにパルテノン神殿に使った)
この同盟とアテネの強大化に恐怖を抱いたスパルタはペロポネソス同盟を結び、やがて対立した両者はペロポネソス戦争を開始した。はじめ優勢であったアテネであったが、ペリクレスが疫病で死に、スパルタが勝者となった。その後エパメイノンダス率いるテーバイが一時期主導権を握るが、エパメイノンダス死後、彼に戦争術を習ったフィリッポス2世率いるマケドニアが力を持ち、

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カイロネイアの戦いでギリシアに勝利し、スパルタ以外の全ギリシアコリントス同盟で集め、支配下に置いた。フィリッポス2世が暗殺された後、アレクサンドロス大王が力を持ち、イッソスの戦い、アルベラの戦いでアケメネス朝を打ち破った。
その後西進したアレクサンドロス大王であったが、死亡し、その領土はディアドコイ(後継者)達によってアンティゴノス朝マケドニアプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの三つに分けられた。ここからプトレマイオス朝エジプト滅亡までの300年間をヘレニズム時代と呼ぶ。